2017/06/05

オタクその②

自分も含めて、多分、ほとんどの人はある意味ではオタクであはるんだけど、
その深度とか依存度、その人の持つオタク要素とそれ以外の要素との比率で、
本物のオタクかそうじゃないかを、自分自身ではなく、客観的に判断されるのがオタクではないかと思う。
ヲタかオタなんてもっと客観的な判断。キモイかそうでないか結局見た目の話がほとんどなはず。

一昔前は、DJや歌を歌う人達、バンドもそうだろうけど、アーティスト的なものを目指すオタクって
音楽の文化的背景のトレースっていう部分にも比重を置くことが求められたし、
その深度でいけてるいけてないかが判断されてきたと思う。

2000年代まではファッションと音楽の文化的背景が密接に絡み合っていたから、
ライトなオタクであっても、「その音楽が好きな人」と客観的に分かるような見た目に必然的になっていた。
だから、「こういうタイプの音楽が好きな人だろうな」と、そのオタク的音楽趣味を理解しない人からも客観的に認識された。
これが旧タイプのDJの多くの姿だったと思う。オタではあるけどヲタが比較的少なかったのはそういう理由。
(もちろんアースカラー全開の小汚いBボーイがヲタと認識されるケースは多々あっただろうけど)

時代の流れで、音楽のジャンルという概念が薄まるのと共に、音楽の文化的背景という概念が無くなった。
2010年代は、もはややっている音楽と見た目が連動するということは全くない。むしろそれをするのはダサい。
その必要無くなったオタク要素の隙間を埋めるべく、音楽そのものへの深度がイケテルイケテナイの尺度に求められる。それか、ちょっとアングラな嗜好(例えばTatooや薬物)への寄り添いの深度でオタク度を補完するようになった。先に述べた、ニュータイプのオタクDJはこういう状況にあると思われる。

既存のDJ達とは違うタイプのニュータイプのオタクが台頭してきていると感じるという意味は、
そのような、深度の深い、音楽偏差値の高いタイプのDJが増えたという意味であり、
ぱっと見はステレオタイプなDJの見た目をしていない、というかする必要がない人達が増えたということ。
箱DJ的などのディスコDJ的なマジョリティ対応の人達が”金髪+オフホワイト”が制服なのに対して
ニュータイプDJにはにはそういう見た目指標は無い。
サイレントマジョリティ対応ではないため、音もファッションも独自なものを作っていこうとするタイプで、
いわゆる辞書的な「社会性が低い、対人距離感がおかしい」みたいな旧来型のオタクとは全然違うニュータイプだ。

これが良いか悪いか、業界のシュリンクに拍車がかかるのか拡大の糸口になるのか
こればっかりは分からない。だから推移を見守りたい。

ただ、オタは良くてもヲタは異性には受け入れられないでろうから、
客観的な判断要素である見た目が地味になりガチであることはネガティブな要素でしかなく、
サイレントマジョリティを巻き込んでいくのは相当難しいのではないかと思っている。

っていうか、地味な音楽オタを超きれいなお姉さんが好きなわけなさそうだから、
 地味な女ばっかりクラブに増えたら嫌だなって思う。

話がまとまらないからおしまい。


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