2018/04/09

DJではありません



このところ色んな人が口にして目につく
「私はDJではありません。」発言。
僕も常々言ってますが、自分の場合はこう考えるというのが今日のお話。

DJと呼ばれる人には一般的に、
選曲する、人を躍らせる、お酒を飲ませる、曲を作る、歌う・・・というような色々な役割が求められるようです。
とある方曰く、TPPはカッコいいことばっかり言ってるけどお金使わせない?使わない?とのことで、DJとしての重要な役割を果たせていないという認識をされているようです。

僕の場合、そもそもそのような一般的に求められる役割とは全く関係ないことをしているつもりであることから、当然ながら要求させる役割は果たせていないのでしょう。
まず、自分が“躍る”ということが何だかわからないし、音楽のグルーブで揺れるみたいな行動を全くしないため、人を躍らせるということや躍るための音楽、更にはそれを繋ぎ合わせるということは理解ができず興味がありません。躍るよりも腕組みして頷いてくれることを求めてます。
“音楽を流す“ことは、あくまで自分の活動や表現の極一部の手段であってそれ自体が表現活動の主体ではないため、一般的なDJ像と自分の表現は異なることが明らかであり、結果として「DJではない」と言わざるを得ないという事になる訳です。

 DJというのは、自分が良いと思う音楽をその場所にいる人に強制的に聞かせるというかなり独善的なことをやっている訳ですから、単なる独り善がりでは最悪です。TPOや場の状況に応じた最適提案をするのは当たり前です。それを踏まえて、僕の場合はその中に音楽だけではない表現したいことも盛り込みつつ表現しているのです。ラップとヒップホップの話と近いかな。

 さらに、僕の場合の「DJではありません」は、卑下・謙遜している振りの超セルフボースト。
ポーザーでスキルは無いし、自己流で超いい加減にやってるんだけど、DJという人たちで特に商売でやってる人たちはどうですか?かっこいい表現してますか?現場盛り上げてますか?っていうこと。

 こういうのをひっくるめて「DJではありません」なんです。決してCDJのボタンを押しているからボタンプッシャーであってDJではないという側面だけではないのです。

2018/02/19

格差


日本のダンスホールとヒップホップのシーン
音楽そのものだけでなく文化的背景が必ずセットなる似たような世界で、
親和性も高いし、大きな括りとしては同じカテゴリとして扱っていいはず。

でも、この2つには大きな格差があって、全くもって同種のものとは括れない。
マネタイズの規模感、社会的信用、何をとっても大きな差が開いてしまっている。
同じと思っているのはダンスホールの人たちだけでしょう。
 
 なぜこの差が生まれて大きくなったのか。
一番の原因は、行き過ぎた現地至上主義だと思う。

海外現地が正解であるという主張のボリュームによって、
日本独自のシーン形成に大きな影響が出てしまった。
ヒップホップシーンからはそういう声を聞いたことがない。
ダンスホールにおいては、昔はあまり聞かなかったが、年々その主張が目立つようになり、結果的に入り口を狭めてしまったためにシーンが拡がらなかったように感じる。

業界がシュリンクしている今こそ、日本独自のシーンはそれはそれで良いものだと
自信を持って声を大にして主張しないといけないと思う。


2018/01/09

年頭の挨拶

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

昨年は、TPP飛躍の年だったと自負しています。
メンバーそれぞれが専門性を発揮することにより、オリジナル音源リリースや、
求めている形でのパフォーマンスができるなど、これまで出来なかったことが成果として着実に表れた年でした。

今年は昨年の流れをより確実に繋げていく事で、
より一層海外進出という将来の目標に向けた動きを形にしていきたく、
特に、国内・海外それぞれに向けた音源・映像コンテンツの製作という
2つの軸を中心に活動することになりますのでご期待ください。

現場については、旧RQメンバーを中心としたTPPによるレギュラーを終了し、
若手メンバーを軸とした新しいパフォーマンスの場所を模索しつつ、
大人が集まれる場所も作れるよう、平行して年寄りメンバーも頑張ってまいります。

今年一年の読んでくれた皆さんと、メンバーの健康、活躍を心から祈念し、
新年の挨拶といたします。充実した一年にしてまいりましょう。

2017/11/29

音楽愛ってなに

先般、どういう流れだったか忘れたけど、
自分は音楽そのものに対する愛情はなくて、それをやってる人やシーンへの愛情のみ持っている。
というような発言をTwitterでした。
これには、内心死ねよと思っている同業者が多いように感じた。見えない空気感。

どう思われようとどうでもいいんだけど、音楽そのものに対する愛情っていうのは
全然理解できないから、本物の愛を持ってる人には教えてもらいたい。
少なくとも、今までいろんな人の演奏やらなんやら見てきたけど、
愛情が伝わって、これが音楽への愛だ!とか感じたことも一度もない。

僕は、音楽そのものではなく、海外のシーンをそのままトレースしつつ
日本ナイズして日本のシーンを築いている同志達への尊敬と愛情を持っている。
ただ音楽だけを愛しているなら別にリスナーでいいし、好き勝手に活動すればいいけど、
シーンや人を大事に思っているからこそ、自分の利益以外ことも考えて活動する必要があるし、
そういう志を持った人が集まるからシーンが成り立つんだと思っている。

だから、僕の当該Tweetを見て、あいつはまたバカなこと言ってると思った
日本語読解力の低いバカな同業者もみんな愛している。

人を愛せない人に音楽なんか愛せないだろう。

2017/09/08

9月なのに暇なのか



ネットで流行らせる文章の書き方には流行りがあると思う。
これらは最近見た中で最も顕著に最近の流行手法の型にはめた展開と要素構成で書かれている。

お分かりいただけたでしょうか?

例えば、本論とあまり直接的に関係なくてもいい、時事ネタや芸能ネタなどを冒頭に餌としてぶら下げる。というか冒頭に意味不明にぶつける。そのうえで、実際よりかなり誇張した内容を連ねて、結論があるわけでもなく、単なる何かの宣伝になっていたりする。

音楽もイベントもファッションもこの感じであざとく書かないとバズらないのかな?
幸いにも要素としては元々いっぱい含有しているんだから、思い切って寄せていくのもあり。
お金かけてそれができるところはこういう人達使ってもいいと思うし。

でも結局かっこつけたいってのがベースにあるからやらないか。自分はやらないし。