DJの世界ではオタクの興隆が目覚しく、推移を見守りたいと書いたので、
その「オタク」についてちょっと考えてみた。
「オタクがオタクでなくなるとき」という著名ブロガーの記事がある。
http://bunshun.jp/articles/-/2475
ポイントは大体この3点ぐらいかな。
①結婚とか子供が出来たとか、ライフステージが一定段階にくるとオタク引退が必須になる。
②オタクを引退したときにやることがなくなってすごく虚しい。
③オタク趣味以外に人生で大事にすることがいっぱいあることに気づいた時には遅い。
半分同意、半分不同意って感じ。
①ライフステージ云々については、趣味が合えば継続可能。
妻は、ダブに8万とか払っても文句言わずに、いいね!って言ってくれるし日々一緒に楽んでいる。
これはアニメとかだって一緒で、コスプレしながら子作りすればいいし、子供にも与えて一緒に楽しめばいい。
会社なんて見渡す限りほぼ全員電車オタクだけど、みんな子供と一緒に楽しんでる。
②やってることが無駄だったと感じて虚しい云々については、
世の中的にまともっぽいと思われているような趣味だったら、そこへの人生の投資は一切無駄にはならないといえるの?
これは良く分からない。ダメな趣味とそうじゃない趣味の線引きが曖昧。アニメはダメでDJはいいのか?ダメだろうよ。
③これが一番わからないのだけど、オタク的な趣味以外にもっと人生で大事なことって何だろう?
①的な話であれば、オタクを継続するか否かとの因果関係は絶対ではない。
「人生におけるもっと大事なこと」ってのが多分まだ見つかってないからなのか、よくわからない。
ってここまで書くと全部否定だった。
でも、わかる部分もあるんだよね。
なんていうか、人に愛されないオタクになるのはマズイだろうし、
そういうオタクを継続することは危険だという部分では同意できる。
それしか出来ない人の世界に深入りしてはいけないってイメージ。
気がついた時に選択肢が何もなくなっているような生き方はするなっていう意味なのであれば、
オタク趣味を継続するとどうのこうのじゃなくて、 その深度とバランスを大事にしろって話だよね。
そもそもこれはオタクに限った話じゃなくて、何事にも共通していえる話だけど。
筆者はゲーム、アニメ、アイドルなどを趣味とするステレオタイプなオタクをターゲットに書いているけど、
派手に生きてて、トロフィーワイフどころではない結婚をして、スポットライトを浴びて生きているオタクもいる。
DJなんかみんなそうじゃない?極端な例かも知れないけど、「オタク=人生詰んでる人」ではないのが今のオタク像ではないかと思う。
70年代に作られたというオタクという言葉の辞書的な意味の一部である、「得意分野以外への知識や社会性に欠ける人」
という言葉だけをオタクとしてしまうと、ニュータイプのオタクを理解することは出来ないと思う。
次は、ニュータイプのオタクDJについて
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