2014/10/10

人は何故ジョーダンを履くのか②

先の話しのようにジョーダンやスニーカーを取り巻く現状を憂うのもポーズで、単なる先いってる感や分かってる感の醸成でしかないです。とか言い出すと、ほんと嫌なやつだなってことになるので(もうなってるか)この辺でごたくを並べるのはやめて次の話。
シグナリング理論というミクロ経済学の考え方があります。これは、市場(特に労働市場)において、情報を持っている人と持っていない人とが向き合ったとき(これを情報の非対称性が生じた場合という)私的情報を保有している方が、情報を持たない側に情報を開示するような行動をとるという概念です。
企業は有能な人を雇いたいと思うのは当然ですが、雇って働いてもらうまではその人が有能かどうかは分かりませんよね。これが企業と労働者間の情報の非対称性です。そこで、雇われたい側の我々はどうするか?自分が有能であるから雇って欲しいというアピールをしなければなりません。その1つの手段として提示される私的情報が「学歴」です。学歴が仕事の能力と直結しているものとは必ずしもいえませんが、自分が有能であることを企業側に知らしめるサインとしては有効な手段だと考えられます。
高学歴になるためにには受験をクリアするための無駄な受験勉強という時間的コストと塾代などの金銭的コストをかけて膨大な無駄が発生します。でも、このコストが企業に雇われて将来的に高い給料がもらえてペイすればそれは経済的にも意味があろうと考えたのです。これらをシグナリング理論といいます。
 これをストリートカルチャー(言い方ダサいけど便宜上そうします)に置き換えて考えると、我々は、素性が分からないお互いに相手方の情報を持たない人同士の集まる場所で、どうやって自分にその世界で価値があるか、ちゃんとストリートカルチャーを理解して、しっかり流行をフォローできているかを他者にアピールすればいいでしょうか?
簡単なのがファッションです。その中でも最も簡単に情報を発信できるのがスニーカーです。なぜならスニーカーは洋服と比べたらブランド数が少なく、特にストリートカルチャーに限っていえば欧米の数ブランドに集約されていると思われます。その中でも数が少ない、値段が高いなど特殊なモデルは限られるため、そういった特殊なモデルを所有していることを他者に情報発信しアピールすることができれば、簡単にストリートカルチャーの中で価値の高い人間であることをシグナリングできるのです。シグナリング理論でいうところの学歴と同じような機能をスニーカーが果たしてくれます。
この最たる例がナイキのレアスニーカーであり、ジョーダンなのです。だからこのカルチャーに身を置く人たちはこぞってレアジョーダンに手を伸ばす訳です。2万弱ぐらいの投資と、並んだり抽選にいったりする労力、または4万ぐらいのプレ値を出すという無駄なコストをかけても、その世界でいけてる人として認識されるという目的が果たされれば経済的に意味がある訳です。
 先のエントリーではジョーダンを履くことはポーズだといいましたが、シグナリング効果を得るために他者に情報発信をすることこそポーズの本質なのです。
これが、人は何故ジョーダンを履くのかということに対する僕なりの考えです。
つづく。

2014/10/09

ちょっと前に「若者に欲が無い云々」というブログ記事を読みました。今の若い人たちはモノでの評価ではなく別の形で承認欲求を満たすことを求めるようになったから、物欲がないという風にオヤジ共には写るのではないか?というもの。これ果たしてそうなのかな? 自分は物欲死ぬほどあります。小金持ちだったらサンローラン風スタジャンは作らないで普通に買うし、大金持ちだったらサンローランに裏地は迷彩にしろとかオーダーするし。単純に金がないんですよ。満たしたい物欲を満たすだけの。
でも承認欲求云々というところは確かにと思う所もありましたのでそのお話。 確かに近年SNSなどでより他人へのアピールがしやすくなったし、他人からのレスポンスももらいやすくなったから、若い人の中での感覚や日々の行動が変わったと思う。承認欲求を満たすための行動を起こしやすくなった。(実際満たされているか否かではなく)
↑で書いたサンローランの話もそれに繋がるんだけど、僕は自分の自己顕示欲を満たし、承認欲求を満たすためには「サンローラン風スタジャンを作る」という動きがきっと見栄えがよろしかろうと思ってそのような行動に出ている訳です。 簡単にいうと、僕はいけてるものをキャッチするアンテナ感度はいいし、かっこいいことしてるから「いけてる人認定してね」っていうアピールのため。音楽やらファッションやらに関して「分かってていけてる人」として回りに認識してもらうため。正に承認欲求を満たすためですね。 僕はこれを「ポーズ」呼んでいます。 本当に好きであるか否かに関わらず、承認欲求を満たすためのツールとして、他人にアピールする際に自分のプロフィールの付帯要素として利用される洋服や音楽やスポーツ。これをアピールすることをポーズと称し、これを分かってやってる人をポーザーと呼んでいる訳です。
めんどくせーやつでしょ?「めんどくせーちょっと賢い人風」に見せたいのもポーズだからそういう「ポーズ」を取ってるんです。
さて、そのポーズの最たる例として挙げられるのが、「スニーカー」ではないでしょうか?二十歳そこそこの子達が、自分の生まれるより前のデザインの、知りもしないバスケ選手の専用モデルの運動靴に関する発売日情報を躍起になってやり取りして、入手できたか否かをSNSで伝え合い評価し合う。下手したらバイト代はたいて3,4万出しちゃう。 こうなってくるとその運動靴が本当に好きかどうかなどもはや関係なくなっちゃってる訳で、希少性の高い商品をいかに早いタイミングで情報をキャッチしたりそれを入手するルートを持っているかということの競い合いになってしまっています。
もちろん、こうした行動は運動靴メーカーのブランディングの賜物でもありますが、SNSなどの進化という時流が作り上げた新しいライフスタイルなんでしょう。 だから、スニーカーを本当に愛してコレクションしている人は除いて、自分を含めた大多数の人は単なるポーザーだと思ってます。
で、もうジョーダンには興味がないんですよ。いけてる人認定されるためのツールとしては弱いから。 ジョーダンはそういうツールに成り下がってしまったんです。 元々大好きでしたよ。最初に買った6は壊れてボロボロになってもずっとしまってありました。 だからこそ今の状況が寂しくて逆にこういうエントリーを書いた次第です。 この話続きます。