2017/06/29

フューチャーの意味

どんな世界でも良かった過去に縛られている人は多い。

自分も、ダンスホールバブルの熱狂の渦の現場にずっといたから、あの頃ああだったのにという思いにかられることはある。
月曜から日曜まで文字通り毎日、渋谷、新木場など都内主要クラブのメインフロアでダンスホールレゲエのみのイベントが開かれて人で溢れ返ってたし、熱狂的な盛り上がりだった。

バブルに乗っかったのではなく、そのブームを作っていった一端を担った自負がある。
だから、自分も良い意味でも悪い意味でも「ダンスホールバブル」に縛られていると思う。
当然同じようなことを今求めたって仕方がないのも分かってるけど、やっぱり心のどこかで楽観的に考えてしまっている部分がある。

あんなに流行ったんだから、みんなダンスホールというものぐらい知っているだろう
っていうのはとんでもなく大きな間違い。
今また「ダンスホール的打ち込みの音」が流行っているだけでダンスホールミュージックそのものやその文化には興味がある訳ではない。

10年前がどうだったかなんて当事子供だった今のお客さんが知る訳がないし、あの時のお客さんをどうしたら取り戻せるか考えるなんてとんでもなくナンセンス。
そんな超シンプルで当たり前のことに気が付いていない人は多い。
もちろん、ターゲットを絞って特化したイベントはそれはそれで良いと思うけど、
過去の呪縛から抜けられないプレイヤーには、変化が必要とは実感しがたいんだろうと思う。

これはどんな商売でも同じで、過去のお客さんを取り戻すなんて発想では絶対に発展しない。
未来のお客さんを確保するべく地道な努力をしなければダメに決まってる。
伝統芸能だって、時代に合わせた変化をし続けているんだろうし、全ては未来を見てどうかってことだよね。

だからフューチャーなんだよね。
音的に新しい感じ、未来っぽいとかそういうことでは全くない。


2017/06/05

オタクその②

自分も含めて、多分、ほとんどの人はある意味ではオタクであはるんだけど、
その深度とか依存度、その人の持つオタク要素とそれ以外の要素との比率で、
本物のオタクかそうじゃないかを、自分自身ではなく、客観的に判断されるのがオタクではないかと思う。
ヲタかオタなんてもっと客観的な判断。キモイかそうでないか結局見た目の話がほとんどなはず。

一昔前は、DJや歌を歌う人達、バンドもそうだろうけど、アーティスト的なものを目指すオタクって
音楽の文化的背景のトレースっていう部分にも比重を置くことが求められたし、
その深度でいけてるいけてないかが判断されてきたと思う。

2000年代まではファッションと音楽の文化的背景が密接に絡み合っていたから、
ライトなオタクであっても、「その音楽が好きな人」と客観的に分かるような見た目に必然的になっていた。
だから、「こういうタイプの音楽が好きな人だろうな」と、そのオタク的音楽趣味を理解しない人からも客観的に認識された。
これが旧タイプのDJの多くの姿だったと思う。オタではあるけどヲタが比較的少なかったのはそういう理由。
(もちろんアースカラー全開の小汚いBボーイがヲタと認識されるケースは多々あっただろうけど)

時代の流れで、音楽のジャンルという概念が薄まるのと共に、音楽の文化的背景という概念が無くなった。
2010年代は、もはややっている音楽と見た目が連動するということは全くない。むしろそれをするのはダサい。
その必要無くなったオタク要素の隙間を埋めるべく、音楽そのものへの深度がイケテルイケテナイの尺度に求められる。それか、ちょっとアングラな嗜好(例えばTatooや薬物)への寄り添いの深度でオタク度を補完するようになった。先に述べた、ニュータイプのオタクDJはこういう状況にあると思われる。

既存のDJ達とは違うタイプのニュータイプのオタクが台頭してきていると感じるという意味は、
そのような、深度の深い、音楽偏差値の高いタイプのDJが増えたという意味であり、
ぱっと見はステレオタイプなDJの見た目をしていない、というかする必要がない人達が増えたということ。
箱DJ的などのディスコDJ的なマジョリティ対応の人達が”金髪+オフホワイト”が制服なのに対して
ニュータイプDJにはにはそういう見た目指標は無い。
サイレントマジョリティ対応ではないため、音もファッションも独自なものを作っていこうとするタイプで、
いわゆる辞書的な「社会性が低い、対人距離感がおかしい」みたいな旧来型のオタクとは全然違うニュータイプだ。

これが良いか悪いか、業界のシュリンクに拍車がかかるのか拡大の糸口になるのか
こればっかりは分からない。だから推移を見守りたい。

ただ、オタは良くてもヲタは異性には受け入れられないでろうから、
客観的な判断要素である見た目が地味になりガチであることはネガティブな要素でしかなく、
サイレントマジョリティを巻き込んでいくのは相当難しいのではないかと思っている。

っていうか、地味な音楽オタを超きれいなお姉さんが好きなわけなさそうだから、
 地味な女ばっかりクラブに増えたら嫌だなって思う。

話がまとまらないからおしまい。


2017/06/02

オタクその①

DJの世界ではオタクの興隆が目覚しく、推移を見守りたいと書いたので、
その「オタク」についてちょっと考えてみた。

「オタクがオタクでなくなるとき」という著名ブロガーの記事がある。

http://bunshun.jp/articles/-/2475 

ポイントは大体この3点ぐらいかな。

①結婚とか子供が出来たとか、ライフステージが一定段階にくるとオタク引退が必須になる。
②オタクを引退したときにやることがなくなってすごく虚しい。
③オタク趣味以外に人生で大事にすることがいっぱいあることに気づいた時には遅い。

半分同意、半分不同意って感じ。

①ライフステージ云々については、趣味が合えば継続可能。
妻は、ダブに8万とか払っても文句言わずに、いいね!って言ってくれるし日々一緒に楽んでいる。
これはアニメとかだって一緒で、コスプレしながら子作りすればいいし、子供にも与えて一緒に楽しめばいい。
会社なんて見渡す限りほぼ全員電車オタクだけど、みんな子供と一緒に楽しんでる。

②やってることが無駄だったと感じて虚しい云々については、
世の中的にまともっぽいと思われているような趣味だったら、そこへの人生の投資は一切無駄にはならないといえるの?
これは良く分からない。ダメな趣味とそうじゃない趣味の線引きが曖昧。アニメはダメでDJはいいのか?ダメだろうよ。

③これが一番わからないのだけど、オタク的な趣味以外にもっと人生で大事なことって何だろう?
①的な話であれば、オタクを継続するか否かとの因果関係は絶対ではない。
「人生におけるもっと大事なこと」ってのが多分まだ見つかってないからなのか、よくわからない。

ってここまで書くと全部否定だった。

でも、わかる部分もあるんだよね。
なんていうか、人に愛されないオタクになるのはマズイだろうし、
そういうオタクを継続することは危険だという部分では同意できる。
それしか出来ない人の世界に深入りしてはいけないってイメージ。

気がついた時に選択肢が何もなくなっているような生き方はするなっていう意味なのであれば、
オタク趣味を継続するとどうのこうのじゃなくて、 その深度とバランスを大事にしろって話だよね。
そもそもこれはオタクに限った話じゃなくて、何事にも共通していえる話だけど。

筆者はゲーム、アニメ、アイドルなどを趣味とするステレオタイプなオタクをターゲットに書いているけど、
派手に生きてて、トロフィーワイフどころではない結婚をして、スポットライトを浴びて生きているオタクもいる。
DJなんかみんなそうじゃない?極端な例かも知れないけど、「オタク=人生詰んでる人」ではないのが今のオタク像ではないかと思う。

70年代に作られたというオタクという言葉の辞書的な意味の一部である、「得意分野以外への知識や社会性に欠ける人」
という言葉だけをオタクとしてしまうと、ニュータイプのオタクを理解することは出来ないと思う。

次は、ニュータイプのオタクDJについて